キリスト教とは
![]()
最近は余り聞かれなくなりましたが、戦後のある時期、キリスト教というと「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」と言ってよくからかわれたものでした。江戸時代初期には「キリシタン」と言われ、明治時代には「ヤソ教」と言われてさげすまれたことは、歴史の書物を読むとわかります。仏教、イスラム教と並んで、世界三大宗教のひとつだと言われていることは、周知の事実です。
1. それでは、本当の意味での「キリスト教」とは何なのでしょうか?
1) キリスト教は、ひと言で言いますと、イエス・キリストを救い主として信じる宗教です。
@ 聖書は次のように言っています。
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。」(テモテへの手紙第一 1:15)
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4:12)
A もう少し詳しく言いますと、人間が持っているどうしようもない罪と死から人間を救うために、神が人となってこの世に来られたイエス・キリストを、罪と死から解放し永遠のいのちを与える救い主として信じる宗教です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
2) 別の角度から言いますと、キリスト教は、聖書66巻を神の言葉として信じ、これを唯一の聖典とする宗教です。
@ 人間の言葉で書かれたものではありますが、聖書の言葉を「神の言葉」として信じます。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
(ヨハネの福音書1:1)
A その理由は、時代は異なり、その民族や職業も違いますが、神から選ばれた人々が、「神の霊感によって」書かれたものが聖書だと信じるからです。そのため、それぞれの書は独自の個性をもって書かれていますが、イエス・キリストが救い主であることを指し示すことに於いて一貫性を持っています。聖書が一般の書物と違うのは、「聖霊」が聖書の文字を通して、私たちの心に語りかけてくださり、イエス・キリストのいのちの力を体験させてくれる所にあります。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」(テモテへの手紙第二 3:16&15.)
B 旧約聖書39巻、新約聖書27巻の合わせて66巻だけを神と言葉と信ずる所に特徴があります。
「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」(黙示録22:18〜19)
3) そして、何よりも、「愛の宗教」です。
@ 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一 4:10)
A 「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は
神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」(ヨハネの手紙第一 4:16)
2. 次に、キリスト教は、どんなことを信じている宗教なのでしょうか?
1) ひと言で言うと、キリストの「十字架の死」と「復活」を二つのことを信仰の柱として信じます。
そして、キリスト教信仰の基本は「使徒信条」に要約されています。
2) 「使徒信条」は、世界中の教会が共通の信仰項目として、初代教会以来脈々と引き継がれているものですので、その全文をご紹介します。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこよりきたりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
とこしえのいのちを信ず。 アーメン
3) 文語体の文章で、分かり難い言葉も多いので、少し噛み砕いてご紹介しましょう。
@ 天地万物を創造された、全能なる絶対者を、父なる神として信じます。
A その父なる神の独り子イエス・キリストを、私たちの主として信じます。
B イエス・キリストは、聖霊によっておとめマリヤに宿り、そのマリヤから人間として生まれたことを
信じます。
C 全く罪のない方なのに、ポンテオ・ピラトという当時の権力者によって、苦しめられ、十字架につけられて、死んだことを信じます。そしてそれは、人間の罪を一身に背負った身代わりの死だったことを信じます。
D 死んで葬られ、陰府にくだりましたが、三日目に死に打ち勝ってこの地上によみがえったことを信じます。
E そのあと天に上り、全能の父の右の座におつきになり、私たちの祈りの執り成しをしてくださっていることを信じます。
F この世の終わりには、イエス・キリストが再びこの世に来られ、最後の審判に臨まれることを信じます。
G イエス・キリストが天に戻られた後、天より送って下さった聖霊なる神を信じます。
H 目には見えませんけれども、時代を超え、民族を超えて、世界中のクリスチャンがひとつとなっている、「公同の教会」の存在を信じます。
I 主イエス・キリストを信じる時、信じる者同士に聖い交わりが与えられ、信じる者の罪が赦され、信じる者のからだがよみがえり、信じる者に永遠のいのちが与えられることを信じます。
3. それでは、キリスト教は、日頃どんなことを祈っている宗教なのか?
1) イエス・キリストが、弟子たちにこのように祈りなさいと教えてくれたのが「主の祈り」です。
2) 「主の祈り」には、祈るべきことの全てが盛り込まれており、簡潔にして完全な祈りとして、今も全世界の教会で、日曜ごとに祈られている祈りです。30秒で祈れるお祈りですから、これも全文を紹介します。
天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。 アーメン
4. 「キリスト教」という言葉の起源は?(この項、いのちのことば社「新聖書辞典」より)
1) 聖書の中には「キリスト教」ということばは使われていません。イエス・キリストを信じる宗教を指すものとして使われるようになったのは、2世紀になってからのことです。アンテオケの監督イグナティオス(35年頃―107/17年)が「キリスト教」という語を教会史上初めて用いました。
2) キリスト教はユダヤ教の土壌で芽を出し,最初の信仰者たちを生み出した.彼らはナザレのイエスを「生ける神の子キリスト」と告白し、神は十字架上で贖罪の死を遂げたイエスを復活させることによって,イエスがキリストであることを証明した、と信じたのです。
5. 最後に、聖書の中で、良く知られた素晴らしいみ言葉をひとつ、プレゼントします。
少年時代は羊飼いでしたが、古代イスラエルの二人目の王となり、詩人でもあったダビデの詩篇です。
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられます
から。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、
あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、
主の家に住まいましょう。 (詩篇23:1〜6)