「受洗の証し」
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2002年9月22日 池原星子
1.教会との出会い
大学生の頃、実家のある千葉県流山市の日本基督教団流山教会のクリスマス集会へ行ったのが最初です。牧師先生のお説教は難しく、聖書の御言葉の意味もよくわかりませんでしたが、賛美歌が好きで、ハンドベル・クワイヤのメンバーになりましたが、社会人になり、教会へ行く回数は減ってしまいました。
2.JCFとの出会い
1991年にマレーシア航空へ転職し、クアラルンプール・ベースで日本へフライトする生活が始まりました。友人に誘われ、KLでカソリックの英語礼拝に何度か行きましたが、さっぱり訳がわかりませんでした。その頃から、「日本語の礼拝に行けたらいいなぁ」と思うようになりました。そして1992年の運命の(!)出会い。私が乗務していたフライトで新倉さんに出会い、JCFの存在を教えていただきました。
私が最初にJCFの礼拝に出席したのは今からちょうど10年前になります。仕事の性格上、毎週日曜日の礼拝に出席することは困難でしたが、私がマレーシアを離れる1996年までの間に何度か礼拝に出席させていただきました。
3.イエス様との出会い
勉強のために96年に日本へ本帰国。翌97年に東洋英和女学院大学の修士課程へ入学しました。東洋英和はカナダメソジスト系で、ミッションスクールに入学したのは本当に偶然でした。入学してみると、クリスチャンの教授が多く、キリスト教精神に基づく内容の講義もいくつかありました。また、同期の学友にクリスチャンが数人いました。
今考えてみると、東洋英和での2年間で私のキリスト教への関心が深まり、この2年が今に至る基礎となったのではないかと思います。教育哲学論の講義では、マルチン・ルターの著書「キリスト者への自由 聖書への提言」を学び、「ターミナルケア」という講義では、精神科医でクリスチャンの平山正実先生がキリスト教とホスピスについて話をされ、講義では聖句が頻繁に引用されました。ある日の講義で引用された「イザヤ書」53章に書かれているイエス・キリストの姿に強い衝撃を受けました。「キリストは多くの人の罪を無条件で背負い、十字架にかかって死なれた」−この53章を学び、イエス・キリストが人々に説かれたことについて、知りたいと思うようになりました。
4.JCFとの再会
1999年3月に大学院を修了、4月にマレーシアで結婚しました。夫はシンガポールの聖公会の教会で洗礼を受けたクリスチャンです。私たちはKL市内のSt.Andrews教会で結婚式を挙げました。この当時、JCFが存続しているか、連絡先も分かりませんでした。Damansaraにあるもうひとつの日本人クリスチャンの集会へ一度行ってみましたが、なじめませんでした。そして「パノーラ」にJCFのクリスマス集会案内を見つけ、連絡先に新倉さんの名前を再び発見。早速連絡を取ると、私のことを覚えていて下さり、集会へお誘いくださいました。こうしてJCFへ再び戻り、以来日曜礼拝に出席し続けています。
5.祈りに支えられて
JCFの礼拝、礼拝後の交わりなどを通して、イエス様をより近く感じるようになりました。結婚して最初の2年間あまり、夫との生活に不満や不便を感じることが多く、ケンカもたくさんしました。朝3時、4時まで口論が続くと、もうこのまま荷物をまとめて日本へ帰ってしまおうかと何度も思いました。自分だけが被害者のつもりでいました。しかし一方で、夫のことをずいぶん傷つけてしまいました。こんな夫婦の事情を誰にも話すことができなくて、行き詰っていたところ、JCFのご婦人方が私の話を聞いて下さり、祈って下さいました。本当にうれしかったです。
私自身も、つたない祈りではありますが、毎日神様に祈るようになりました。私と夫は、神様が引き合わせて下さり、神様の御前で夫婦となったことを常に覚え、あの時の誓いを裏切ることのないように、また、神様が私たち夫婦を祝福して下さるように、お祈りしました。また自分のことだけではなく、夫のことや家族のことについても祈りました。夫は私が祈っている姿を見て、「君が祈ってくれることに感謝している。神様はいつかきっと君の祈りを聞いて下さる」と言ってくれました。
最初は、内容を色々考えてからお祈りをしていました。しかしいつかの礼拝で、「神様はすべてをご存知なのだから、自分を装ったり、格好つけてお祈りすることは、神様はお喜びにならない」ということを学び、神様にありのままの自分を告白し、罪の許しを求めました。そうすることで気持ちがとても安らかになり、無条件で私を受け入れて下さるイエス様を私の救い主として心から信じるようになりました。
夫婦のことでずっと祈り続けていたことがもうひとつ、それは子どもを授かりたいという祈りでした。私には年齢的な制限もあり、焦っていた折、「伝道者の書」3章に出会いました。天地の創り主である神様は、何事にも定まった時期を与えておられる、ということです。私は、「神様の御心にかなって、一番良いとされる時に、新しい命をお与え下さい」と祈り続けました。今年に入って夫とケンカをほとんどしなくなり、夫婦の基盤が少しずつ固まってきたかなと思っていた折、私たちに新しい命が授かりました。神様は、本当に一番いい時をお選びになったのです。この新しい命は、神様が私たちの祈りを聞いて下さったことの証であり、神様から与えられた大きな賜物です。そして出産の前に私が洗礼を受け、クリスチャンホームに子どもを迎えられることもまた、大きな喜びであり恵みであります。
国際結婚や海外生活での苦労はたくさんありましたし、これからも何が起こるかわかりませんが、何があっても私にはイエス様がいてくださり、耐えられないような試練や苦しみに遭わせられることはないと信じています。 以上