「救いの証」

 
2005年7月31日(日)の「証しの礼拝」にて
伊藤光雅

2000年の2月America, North Carolina州にありますFirst Baptist Church にて、私は洗礼を受けました。私が神様を信じるに至った理由は3つの経験からです。

はじめに、私は高校卒業後、工学部の機械工学科で勉強していました。しかしながら、当時、私は工学部での授業や定期試験の有り方に疑問を感じることが多く、また工学部への入学は、当時の共通一次試験の結果から第二志望での入学だったこともあり、入学当初からこのまま工学部で勉強して良いのかという疑問を持ち続けていました。

大学2年になってから何人かの理学部の学生と親しくなり、理学部での授業雰囲気や健全な定期試験状態を見聞きするにつけて、本来志望していた理学部地球科学系で勉強したい考えが増し、周囲の猛反対を押し切って私は工学部を2年で退学しました。その年に第一志望の大学を受験しましたが、結果不合格で、親には迷惑をかけられないとの考えから、学資金を自分自身で蓄えてから再受験するために、一旦企業に就職しました。

 大学再入学前に企業で働いた期間は6年半の長期になりました。平成4年の8月末で当時働いていた会社を退社し、その後数ヶ月間の猛勉強の後、センター試験を受験し、当初の第一志望であった大学学部に合格し現在の生活に至っています。私にとってこの6年半の企業での生活は、精神的にも物質的にも大きな経験でした。

 私は大学再入学時やその後の大学院で研究派遣留学生として海外で生活していた頃から、それまでの生活を振り返り、「自分自身の力ではなく誰かに支えられ、今の状況に引っ張られてきたのではないのか」と感じていました。

 その理由は、主観的な考えですが、企業で働くということは、自分の貴重な時間を会社に預ける代償として給料を貰います。その状況下では、自分自身の小さな物欲を毎月の給与で満たす環境に置かれますし、その結果、本来抱いていた個人の目標を十分忘れ去る、麻痺した状態を簡単に作り出せます。

 そんな状況にあって長期間、本来の目標を抱き続けたのは、本当に私自身の気力だけだったのか? また大学再受験においては学力の最も高かった工学部中退時に合格できず、数年後の再挑戦時に合格できたのはどうしてなのか? 

 今改めて考えると高校卒業後、頑固で自惚れの強かった私に、神様が6年半の中で日々感謝することや、人に対する優しさを考える期間を下さったこと、その期間、私とともに一緒にあって支えてくださったこと、その後に私を導いてくれたのかと確信しています。

 2つ目に私が博士課程在学時、America, North Carolina State Universityにて学生生活をしていました。同室のルームメートは敬虔なクリスチャンで日曜日の教会での礼拝や、クリスチャン同志での家庭集会に私を良く連れていってくれました。当時私は人種の異なる人々が一同に介して聖書を勉強していることの楽しさと、それらの人々と話すことにも楽しさを感じていました。

 一方で集まる家族を見ていると、家庭では子供にしっかりした道徳倫理や、自国の誇りも教えていました。私は今の日本の家庭と比較し、堅実な道徳教育を教えている、これらクリスチャンの方々に大きなカルチャーショックを受けました。

 そのとき何が一体違うのかと考えた時に、私は宗教観の違いであると感じました。つまり神道や仏教では多様性を認めるため、しっかりした道徳の語り部(以前の日本では家庭に同居しているおじいさん・おばあさんがそうだったと思いますが)、その語り部がいなくなった場合、容易に健全な人の道から逸れていくこと、またキリスト教の場合は人の歩むべき道が聖書に明快に示されている。そのことに気が付いた時、私の目からうろこが落ちるように日常生活での宗教の大切さと、私のこれまでの人生の目的と神様の存在がハッキリと理解出来ました。

 「今でも天には私の証人がおられます」ヨブ記16章19節、私はそれまで答えが出せなかった幾つかの疑問に対する答えがヨブ記の中に全てあることを当時の勉強会で気が付き、これらの経験から神の御言葉とともに歩んでいこうと決心し、現在に至っています。

最後に、私が神様とはじめて出会ったのは、幼稚園の時でした。ミッション系の幼稚園に行っていたためです。その後小学1-2年生の時には自宅近くの教会で開かれる日曜学校に何度か通うことがありました。今にして思えば小さい時に蒔かれた福音の種が私の中で長い年月をかけて成長し、実を結んだのかなと考えます。        以上