「受洗の証し」
![]()
2004年7月4日 前表邦子
カトリック系の幼稚園に通っていたある日、園の先生が十字架上のイエス様の絵を見せて、「私たちが悪いことをするとイエス様が苦しむのよ。」とおっしゃいました。それが、イエス・キリストとの初めての出会いでした。
小学校高学年の頃、親友に誘われ日曜学校に通い、賛美歌を歌い、聖書を読んだ時期がありましたが、歌の意味もよくわからず、聖書のカタカナの名前ばかりが目に付いて牧師の話の内容をほとんど理解していませんでした。その友人が転校したと同時に日曜学校に通うこともなくなりました。
中学校1年生になったばかりの頃、校内スピーチコンテストがあり、私はクラスの代表となりました。タイトルは忘れましたが、「人間は何のために生まれてきたのか」といった内容だったと思います。もちろん、その頃はそれが何なのか自分でわかるはずがありません。でも、誰もが一人一人違った使命を持って生まれてきていると思っていた私は、自分をそして自分の人生を大切に生きてほしいと皆の前で話しました。
が、その後高校、短大と進学してはみたものの、「私は何のために生まれてきたのか」に対する具体的な答えは見つかりませんでした。男女平等の雇用条件に惹かれ、大手の旅行会社に就職しましたが、バブルの全盛期でもあり、接客業と忙しい実務に追われ、年月が過ぎていく中、今の夫と仕事を通して知り合い、結婚しました。
私の故郷である倉敷で順調な新婚生活を送る予定でしたが、妊娠中に夫が東京本社に転勤となり、やむなく私は退職。3年後、長男が2歳、次男を妊娠して間もない頃、夫はベトナム駐在となりました。医療事情が悪いため、先に夫だけ渡り、1年数ヶ月後に乳飲み子を抱えて私たち家族も赴任しました。
今のホーチミンは随分暮らしやすくなっているのでしょうが、その頃はまだまだ不便な生活を強いられ、幼い子供たちを育てる毎日にかなりストレスを感じていました。3人目の子供を流産した時は実に悲しく辛い思いをし、自分の気持ちをコントロールできないくらい落ち込んでしまう日もありました。心を落ち着けるために慰めになるような本を探して読みましたが、気休めにしかなりませんでした。
ところが、1年もしないうちに娘を授かり、本当に救われた思いがしました。その娘が2歳半の時にここクアラルンプールに移ってきたわけですが、環境の大きな変化に順応できなかったのか、彼女が皮膚病に冒され、長い間親子で泣いていました。病院ではアレルギーやアトピーと診断され薬を処方されましたが、長期間その強い薬を使い続けるのが恐ろしくなり、ジャパンクラブの図書室に行っては安全な治療方法を模索しました。環境に慣れたのか、私の方法が功を奏したのかはわかりませんが、娘の症状は次第に良くなりました。が、私の図書室通いは続き、気が付けば様々な宗教がらみの本を手にとってはページをめくっていました。自分の努力だけでは太刀打ちできない大きな波に、翻弄され続けてきた結婚生活に少々疲れを感じていたのだと思います。娘の健康だけでなく、年老いていく両親のこと、反抗期が始まった長男のこと、心のすれ違いを感じる夫のこと、心を開かない孤独な従妹の事、いろいろな悩みが自分ひとりの上に重くのしかかっているように思えてなりませんでした。
そんな頃、夫と同じ会社の同僚の奥さんが月曜の午前中に教会の婦人会に行っていると聞き、頼んで連れて行ってもらいました。初めて参加した日に鑑賞したビデオが強烈過ぎたのと、その奥さんがが一時帰国したのとで、少し足が遠のきましたが、婦人会でお会いした明るく元気な女性たちに妙に惹かれるものを感じているのも事実でした。しばらくしてばったり近所で再会したJCFのメンバーの奥さんが声をかけてくださったおかげで、婦人会出席が恒例となり、また、その矢先に日本からいらしたJCFの元メンバーの奥さんの情熱に背中を押され、去年の3月から日曜の礼拝にも出席するようになりました。さらには、火曜日の小グループによる聖書の学びの会を加藤先生ご夫妻に支えて頂き、メンバーは変わりましたが今もなおその会は楽しく続いています。
おかげで、10代の頃から抱いていた「何のために生まれてきたのか」に対する答えも、いくつかの悩みを解決するためのカギも全て、聖書の中にあることがわかりました。もちろん今でも他の宗教を信じている人たちの気持ちを尊重したい思いは変わりませんが、自分が追い求めるべきものはキリスト教であるという気持ちが自然と固まってきました。思い煩うことを少なくするよう心がけ、心の平安を保てるよう努めてきました。長男や夫とのいさかいが減ったなあと感じていた頃、その長男から「最近、母さんは変わった。」、夫からは「教会のおかげだろう。洗礼を受けたいなら、受ければいい。」と言われ、うれしく思った日を境に洗礼について前向きに考えるようになりました。
今年の3月後半、息子の野球大会や送別会のために2回連続で礼拝を休んだ後、パームサンデーの4月4日、教会に行き着席した時は、本来の居場所に戻れたように感じほっとしました。ところが、賛美歌を歌い始めたとたん、気持ちが動揺し涙が止まらなくなりました。イエス様が十字架上で苦しんでいる情景を思い浮かべたからです。これまでも幼稚園で見たあの時の絵や他の本の挿絵などを何度か思い出したことはあります。でも、正直言って何も感じなかったのです。それまでは、おとぎ話の中に出てくる一人の登場人物くらいにしか捉えていなかったのかもしれません。
でも、この日はまるで違っていました。私のすぐ目の前にイエス様がいて、その何の罪もない方が、私たちの罪のためにそして、私たちを救うために苦しめられ殺されたのだと実感したのです。その週はとても重い気分で過ごしたせいか、原因不明の激痛に襲われた日もありました。痛みと気分の悪さをこらえながら歩いている間、イエス様が受けた痛みと苦しみを想像している自分に驚きました。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、
私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ4:25)のみ言葉により、イエス様を信じ、受け入れる確信を与えられました。
ですから、その1週間後の月曜の婦人会で昼食を頂いている時、お隣に座っていらしたはんな先生に「そろそろ洗礼は?」と聞かれた時、何の躊躇もなく「はい。お願いします。」と返事ができたのだと思います。
洗礼を受けることを決めてすぐ、倉敷の両親にも報告しました。反対されるかと不安でしたが、父がとても喜んでくれほっとしました。若い頃教会に通ったことがあり、賛美歌を歌うのが好きだったと話してくれたその父は今、重い病気を患っています。全てを主の御手に委ねますから、どうか父の歩む道をあなたが明るく灯してくださいますように。希望を捨てず、笑顔で生きていけますように。そして、そばで支える母にも力を与えてください。離れて暮らしている私には、メールを送ったり電話をかけたりする以外は祈ることしかできません。今はただ、父が病気を克服し、心身ともに救われることを願っています。
今日このように皆さんの前で洗礼式を迎えることができ、心からうれしく思っています。今まで本当にたくさんの方に温かく見守られ、支えて頂きました。その支えてくださった多くの方々が実に魅力的だったことが、私もクリスチャンになりたいと考えるようになった最大のきっかけでした。また、理解のある夫や、明るく素直な3人の子供たちにも心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。 以上