「教会との出会い」 

 
2005年7月31日(日)の「証しの礼拝」
宮田登紀子

私は、クリスチャンの親から生まれ、知らないうちに自然と教会へ行っていたという環境で育ちました。幼稚園、小学校と教会学校で育てていただき、中学生からは大人の礼拝に出席するようになりました。これをお聞きになった方は、当然クリスチャンになるべくして、なったと思われるかもしれません。しかし、当時中学生だった私は、生意気で、学校では理由なき反抗といわれるほどでした。ですので、周囲のかたがたからいつ洗礼をうけるのかと聞かれるのが非常にいやで、絶対この人たちが喜ぶようなことはしたくないと思っているほどでした。

とはいえ、教会生活を通し、神様がいることは絶対確実で疑うことができないこと、そして、イエス様が私の罪のために死んでくださったことが絶えず示され続けていました。さまざまな特別集会に出るたびに、招きの言葉が開かれ、神様が私を招いていらっしゃることにだんだん耐えられなくなってきました。しかし、まだ、わがままな私はどうやって、洗礼を引き伸ばすか・・・ということばかり考えていました。

そうこうしているうちに、高校1年のとき、一つ上の姉が洗礼を受け、いよいよ私の番と皆さんから言われるようになりました。翌年の高校2年の冬のとき、神様は私に洗礼をうけるのに、周囲に対して都合のいい、一つのエクスキューズを与えてくださいました。答えは、特別伝道集会が行なわれる関係で、広くて、きれいで、しかも冷たくない、お湯がはられた洗礼槽で洗礼が受けられるということでした。

というのは、前年に姉が洗礼を受けたとき、川で洗礼を行ないました。その際、川の対岸にいた人がそれを見ていて、うちの姉が自殺すると勘違いしてしまい、大声で、「早まるんじゃなーい」と叫んだということがあったのです。私は、これ幸いと親に「今回は、姉のようなことが起こらず、洗礼が受けられるならうけてもいい」といったのです。

当時の私は、本当は洗礼を受けたかったのに素直にいえず、こんな言い訳をしてしまいました。ですが、今になって、このことの意味を考えてみると、こんな罪深い私のことですから、ここで受けなかったら、大学生になり悪いことを覚え、教会から離れてしまう事を神様は考えてのことだったのではないかと思います。

大学生になってからは、教会学校のスタッフとしてご奉仕するようになり、クリスチャンホームの子供を教会につなげていくことの大切さ、またその大変さも知りました。大学卒業後は社会人になり、企業に勤めておりましたが、その後、日本語を教える仕事を目指し、学生に戻ったり、また海外で仕事をしながら、日本キリスト教団西東京教会に籍をおいて教会生活をおくっています。

今回のマレーシア滞在ですが、海外における教会生活は2度目です。1回目の海外における教会生活は98年から2000年の中国における2年間でした。中国での礼拝は、公の教会にしか通えず、もちろん中国語でのメッセージと、非常に苦労しました。聖歌の何番を歌っているかもわからず、隣の人に聞くと、隣の中国人の人もわからず・・というようなこともたびたびありました。

ですので、今回マレーシアへの赴任が決まったとき、真っ先に思ったことは教会どうしよう?でした。昨年11月ごろからネットをよくチェックしていたのですが、その時、柳田さんのヤナパパというサイトを見つけました。そこには、KLJCFのことが書いてあり、これで礼拝生活は大丈夫とホッとしたのを覚えています。

そして、今年の3月17日木曜日にKLに来ました。4日後は日曜日だと思ったときに、はたと気が付きました。メモしたはずのKLJCFの住所や連絡先をおいてきてしまったのです。翌日に、メガモールをぬけたところのインターネットカフェでもう一度KLJCFのサイトをチェックし、加藤先生にメールを書きました。土曜日にもう一度メールをチェックしてみると、返事はありませんでした。が、とりあえず住所と地図を簡単にメモし、あとは突撃しかないなと腹をくくりました。

あとからうかがうと、この週は先生がパウロをたずねる旅にでていらした頃でした。前日の土曜日は体調も崩してしまい、寝込んでいたのですが、日曜日になると、体調も整えられ、いざ出陣とばかりに3時ごろシティテル前で、初めてタクシーを拾い、ゴスペルホールの住所を握り締め、乗り込みました。もちろん、運転手がどこを走っているのか皆目見当も付かず、どこかへ連れて行かれたらどうしようと不安でいっぱいになりながら、タクシーに乗っていました。すると、突然、目に一枚の看板が飛び込んできました。日本語礼拝と書かれている木の看板でした。あわてて、そこでおろしてと運転手にいい、おろしてもらい、この集会室に入っていった時のことは今でも忘れられません。このことは、神様はこんな私のためにも、すべてを備えてくださっているということを、経験させてくださいました。

この話をすると、先生や新倉兄弟から「ちょうど、この日から看板を立てたんだよ。じゃあ、宮田さんはある意味看板娘だね。」とおっしゃってくださいます。この看板娘という言葉を日本語学的にかんがえますと、言語の意味と、該当者とはちょっと隔たりがある微妙―な看板娘ですが、自分でもKLJCFの看板娘というネーミングが気に入っています。

赴任期間は2年と短いですが、この2年の間、KLで神様が私に対して持っているご計画を見せていただけることを、非常に楽しみにしています。マレーシアというイスラムの国で、今日はこのように、証を通して兄弟姉妹がたとシェアできる喜びを、本当に神様に感謝します。以上です。