「受洗の証し」
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2007年5月27日 西村正雄
私の長い旅は、まだ途上にあります。今年65歳になろうとしています。振り返れば短い時間だったかもしれません。子供の頃、「自分はどこから来て、どこへ行くんだろう?」「どうして自分は自分なんだろう?」と素朴な疑問を持ち、「死んでも魂は残って、友達や兄弟・両親を見守れるんだろうか?」と思ったことを覚えています。
時が過ぎて、家内との結婚の直前に、家内は「私はキリスト教徒です。結婚に支障があり、ますか?」と言われ、「構わないよ。」と答えました。信仰を持つ方が、持たないより良いだろう、という程度の気持ちでした。
その後、毎週ではありませんでしたが、共に教会へ行くことが多くなりました。八千代台、長崎、松戸、そして西経堂伝道所と、各地でキリストを信じる方たちと会ってきました。皆さんから「求道者」と呼ばれ、大変暖かくしていただきました。20年程前、香港へ転勤の際、西経堂伝道所の方々から聖書を贈られて、少し読むようになりました。
香港でも家族で教会へ行きましたが、私のキリスト教に対する態度は傍観的なもので、進歩や成長はありませんでした。この香港JCFで、今こちらにおられるウオルターブッシュさんに出会いました。その後も転勤で各地を移り住みましたが、家内の後から教会へついて行くだけでした。
マレーシアへ来る前にエジンバラに住んでいましたが、ここで水害に会いました。イースター明け間もない冬の気候の頃で、冷たい水に胸まで浸かってしまいました。近所の方々は水害を予期して準備をしており被害は少なかったのですが、私の家一軒だけ運が悪かったようです。しかし、西経堂伝道所の方々からは「西村さん、受洗おめでとうございます。」
と言われました。
2001年6月にマレーシアへ移り、初めての経験でしたが、KLグリークラブに入り、KLJCF
で歌う機会がありました。この時、香港でご一緒したウオルターブッシュさんに再会しました。
会社生活を卒業して、これからの生き方を考える時間が増えました。子供の頃思ったことを、また思うようになりました。特に、死んでも魂は残る、という思いが強くなってきました。
今の、この毎日の時間は、皆に平等に流れる「有限の時間」です。しかし時間には、もうひとつの時間があること、それは死んでからの「無限の時間」の流れです。
今私は、イエス・キリストが私の罪のために死んで甦り、これから私が死んでも一緒に生きて行ってくれる、このことを信じることが出来るようになりました。エジンバラの水害で一瞬だったけれども、イエス・キリストとともに古い私は死んだのだと信じたいのです。そして、新しくイエス・キリストと共に生きて行きたいと強く願うのです。
「わたしは復活であり、命(いのち)である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」
(ヨハネ11:25)。この聖句を忘れずに、そして洗礼を授けられたことを忘れないようにします。結婚以来35年間、神の前から隠れていましたが、もう隠れるのをやめました。