「パウロの足跡をたどる旅」

「内田和彦・みずえ先生と行くパウロの足跡をたどる旅」が2005年3月18日(金)から29日(火)までの12日間、トルコ・ギリシャ・イタリアの各地を巡って行われました。参加者は総勢30名、このうちKLJCFからは、加藤先生ご夫妻と今井さんご夫妻がイスタンブールから合流と言う形で参加しました。日本からご夫婦でご参加になった森上陽(あきら)さん(元シンガポールJCFメンバーで、現在栃木県の那須在住)が旅行記をまとめてくださいましたので、森上さんのご了解をいただいて、掲載させていただきます。

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3月18日から29日まで12日間、「内田和彦・みずえ先生と行くパウロの足跡を訪ねる」というツアーに家内と参加しました。色々ありましたが日記風に少しずつ報告させていただきます。

18日(金):
まず成田空港に行ったら、JTBの係の人から、実は昨日、先生のお父様が召されたので後から追いかけてくるとの伝言でした。この旅行は内田先生が行くのでみんなが集まったのに、これではどうなってしまうかと不安になりましたが、一日遅れでこられるとの連絡でほっとしました。(先生は大変でしたでしょうが)。

19日(土):
私達がイスタンブールでボスポラス海峡のクルージングなどをしてすごした晩、先生も到着(といっても夜中の一時過ぎにでした)。

20日(日):
イズミール行きの飛行機が朝早かったため、集合時間の午前5時、参加者の拍手のうちにエレベーターから現れた先生ご夫妻に、ようやくホテルのロビーで会いました。しかし、聞いてみると又大変、夜中に着いていたはずの荷物が着いておらず、着の身着のまま。予定便が機体不良でキャンセルになり、300名の乗客がいろいろの便に振り替えになって、その手違いで荷物がこなかったようです。24時間かけて着いたが着替えはなし、これもつらいです。

この日は、イスタンブールからイズミール(旧スミルナ)へ飛行機で移動。それか300kmのバス旅行で、サルデス、フィラデルフィア(パウロの訪ねた教会跡)を訪ねました。

しかし最後ホテルに入る前に、バスが止まりスーパーに立ち寄りました。添乗員の説明では、そこが衣料産業の中心地でもあり先生ご夫妻の為に当面の衣類を買うことにしたそうです。しかし、そのほかのものは無いとのこと。

自分の荷物を頭でチェックしたら、予備のワイシャツと歯磨きセット(シンガポールエアーのもの)があったので、その晩、部屋にお持ちしたら喜んでくださり、良かったです。食堂であったら、「首周り、腕袖もぴったりで助かりました。」といってくださり、喜んでおられました。でも、毎日バスの中でのデボーション、訪れた教会や教会跡での説明とショートメッセージなど、先生の準備は大変だったと思います。このようなことがありますから、万一を考えて、最低のものは手荷物も必要かなと思いました。

ちなみに航空会社はルフトハンザ。そうそうKL(マレーシア)から参加の加藤先生夫妻も荷物が届かず、真夏の国から寒いトルコに着いて困ったそうです。これはシンガポールエアー。

ほとんど毎日、パウロが訪れた町などを見学しましたが、そのほとんどは、現在は廃墟に近い場所です。しかし、その場所は野の花で一杯、それはそれはきれいです。真っ赤なアネモネがお花畑のように咲いており、その周りも黄色、白の花が、咲き誇ってました。家内が、証し会で話しをしてましたが、あのような人間が作った立派な建物は朽ち果てますが、神様が造られた自然は変わらず、続いて毎年花を咲かせていることを教えられました。

食事は毎日メインが肉、魚などのステーキ、ソテー、塩焼きなどですが、私の大嫌いの鳥のソテーもありました。サラダ、何か一品(スープのこともあり)とメイン、デザートと言ったような内容ですが、何せトルコの田舎が多かったせいか、私にとってはそれほど魅力的ではありませんでした。(日本食が食べたかった!)。

ローマでは前菜がほとんどスパゲティ。後は上記と同じですが、さすがに皆からピザが食べたいと要求が出ました。しかし、内田先生が添乗員に代わって(添乗員も困ったようです)説明してくれました。実は、ピザはイタリアではファーストフードで、非常に庶民的なものだそうです。私達の旅は少しランクが上のため(それなりの値段でした)そのような食べ物は出せなく、すべてコース料理になってしまうとのことでした。よって、ピザは日本にて食べて欲しいと説明してくれました。(そんなものかなー)

そうそう出発時添乗員と話しましたら、内田先生ってどんな方ですかと質問されました。どうしてかと言うと、このお値段で(それなりの値段です)30名の方が集まるなんて、いまどき考えられないと言っていました。今は格安旅行が一般的ですので、高価格の旅行は客がつかないということのようです。参加者は結構沢山の方が、前に内田先生のイスラエル旅行に行った方です。多分これは理解できます。

朝のデボーション(バスの中)、現地でのメッセージ、昼食後は移動中の中で、先生からパウロについてのメッセージが7回くらいありました。しかしこれは、先生も言ってましたが昼食後で時間帯としては難しく、睡魔で聞けなかった人が多くあったと推測してます(私もその一人)。

ともかく、先生の様々な説明が明快で理解が早くできます。年齢的には平均60歳くらいかな。夫婦が8組、単身と言うか友達同士の方で来ている人も多かったです(同じ教会の人)。地域的にはKLから4人、北は那須(私達)、南は和歌山県(那智勝浦)まで、まちまちでした。

トルコはこの一月にデノミをやったばかりで、これが又すごい、6桁落としました。10,000,000トルコリラが現在は10リラです。両方の通貨がまだ完全に使われているので、混乱してしまいます(1リラ=70円くらい)。よって、1億くらいの買い物は(7千円)すぐやってしまう方が多かったのでは。

20日(日):
聖日礼拝は、エーゲ海に面する港町イズミール(旧スミルナ)のカトリック教会をお借りして持ちました。カトリックでプロテスタントの礼拝を行うなんて何だか変ですが、ぜんぜん違和感はありません。でも大きな教会のいろいろな壁画に囲まれて行われるのも良いです。一人の尼さんがマイクなどの調整で、ずっと付き合ってくれました。その日のうちに、サルデス、フィラデルフィアの教会跡地を見学。

21日(月):
ラオデキア、コロサイの教会跡地。コロサイは、丘の全体がまだ発掘されておらず、跡地といっても遠くまで見渡せるぶどう園など小高い丘の1画です。このようなところは観光客などまったくおらず、クリスチャンが時々訪ねるなどの場所でしょう。

22日(火):
いよいよ小アジア最大の都市エペソに入りました。ここは立派な遺跡が残っており、観光客も結構いました。イースターバケーションでもあり、エーゲ海クルーズも立ち寄るようです。石畳の大きな通りの両側に商店街跡、図書館跡、円形劇場跡など荘厳な状況ですが、パウロがこの上を歩いていたのかと思うと、CSで使う紙芝居の絵の情景が思い出されました。

ここの円形劇場の中で、内田先生のショートメッセージが終わると、誰からともなく「栄光イエスにあれ(リビングプレイズ90番)」を賛美し始め、心からの讃美を数回繰り返しましたが、音がよく反響し、音響効果の良いことがわかりました。観客席の方にいた観光客から盛んに拍手をもらいびっくりました。

ここはすぐそばに、当時流行っていた新興宗教のアルテミス神殿跡がありますが、すごい巨大な神殿だったと聞きました。今は大きな石柱が何本か残っているだけ、人間の造ったもののはかなさをみました。又マリアが晩年、キリストの弟子のヨハネとこちらに来たとのことで、彼女の墓(教会)もありました。ちょどそのとき、長いバス旅行で家内は気分が悪くてぐったりしてしまい、介抱(そばにいるだけですが)のため、よく見れませんでした。

23日(水):
バスでフェリーに乗って(約一時間)アジア側からヨーロッパ側に渡り、そのままバスにてギリシャに入りました。ご存知の方もいるでしょうが、トルコ、ギリシャは昔から仲が悪く、その国境越えも大変。地理的には中くらいの川を渡るだけですが、バスの中で1時間以上待ちました。このようなときは、自己紹介兼証し会で時間は過ごしますが(みずえ先生がエコノミー症候群回避体操も教えてくれました)、私の車での国境超えの経験は、香港〜中国間と、シンガポール〜マレーシア間しかなく、案外時間はかかりませんでしたから、チョットびっくり。まして田舎の国境ですから本当に人は少なく、トラックが時々来るくらいでした。

23日(水:6日目):
バスでギリシャに入りました。最初に行ったところは、パウロがギリシャに上陸したカパラ(教会があります)でしたが、時間に余裕が無く又駐車場もないため、バスから上陸記念碑があるのをみました。その後、ルデヤ川(ルデヤガ受洗した場所)に行き、続いてピリピに行って広大な遺跡と教会の跡を見、そこでショートメッセージ。ポイントは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ:1:21)でした。

そこには、パウロとシラスが牢獄につながれていて、地震により開放された、その牢獄がそのままあり、びっくりしました(牢屋ですからそれほど大きくなく、8畳くらいでしたね)。その後、宿泊地のテサロニケに真っ暗になって着きました。でも、ここはギリシャ第二の都市で、今は人口140万人の都市だそうです。今まで行ったところがすべて片田舎の遺跡ばかりでしたので、チョット雰囲気が変わりました。

24日(木):
朝、テサロニケ空港を後にしてアテネへ飛び立ちました。アテネ到着後すぐ、コリント(ショートメッセージ)の遺跡(パウロはアテネではあまり働けなかったのでテント造りしながら1年半滞在)。そしてエペソに旅だったケンクレアの港跡など見学。その晩はアテネ泊。

そこで事件、われわれは部屋に入って、ベランダに出ようとドアを開けたら、ドアが上から倒れてきてしまいました。慌てて無理やりもとの位置に押し込んで、部屋を変えろと添乗員に勇んで(家内は大した事ないじゃない、だけでしたが)文句を言ったら、チョット一緒に行って見ましょうと軽くいなされ戻ったら、彼女いわく「このような扉も、こちらでは時々あります」と言う。「どうしてか」と言うと、「ノブを横に回せば普通のドア、上に回せば上部が外れて開き、風を入れるようになっている」とのこと。とんだ恥をかいてしまいました。世界は色々あります。

25日(金):
ギリシャの独立記念日。珍しくアクロポリスの神殿などすべて開いており(添乗員いわく「こんなの初めて!」)、パウロがギリシャ人に評議された場所アゴラ(会議場あと)でメッセージ。その後、皆さん何度か写真でみた山の上にあるアクロポリス神殿などを見学しました。そのとき、記念日のパレードの真っ最中、真上をジェット機、ヘリコプターなどの編隊飛が真上を何度か求んでいきました。午後空路ローマに入り、この日からローマ泊まり。

26日(土):
午前中はカタコンベ見学。名前は何度か聞きましたが、どんなところかと思ったら、クリスチャンがまだ公認されてない時代、ローマでは彼らの墓がなく、自分達でクリスチャンの墓を掘った場所です。すべて手堀り(もちろん)、地下に通路を掘り、その両側に遺体を置くベッドのような場所を造ったもので、その総延長170kmだそうです。われわれが見たものは、地下4層になっている中で2層まで見られましたが、すごい迫力でした。

もちろん見学者のほとんどはクリスチャンのようでしたが、案内の神父さんが、英語でそして日本語のテープを使って説明してくれました。その一角の少し大きな墓(多分王族か何かの墓でないかと言ってましたが)の後で、ショートメッセージと賛美をしました。中は大変寒くてびっくりしましたが、心のうちは何か燃えるようなものを感じました。

午後からは、ペテロの受難記念教会、バチカン美術館などを見ましたが、カタコンベを見た後は、何かただ立派な建物、絵画としか写りませんでした。

27日(日):
イースターサンデイ。午前中はイースター礼拝のため、ホテルの会議室を借り(本当はカタコンベの予定でしたが当日は休みで変更)、急遽編成した聖歌隊(隊長は加藤先生他12,3人、テナーは内田先生のみ)で賛美し、とっても記念になる礼拝でした。

礼拝の後、会議室の時間の範囲で証し会を行い、兄弟姉妹の今回の旅行での証し、感想などを聞きました。でもだんだん全員がやる雰囲気になって、時間切れで出来なかった人は、最終日のバスの中でやることになりました。

午後からは、サンピエトロ寺院、コロッセアム、ローマの休日で有名なスペイン広場、トレビの泉など観光名所を見学しました。後の二つはすごい人でびっくり、原宿も真っ青でしょう、何せあの大きなスペイン階段、人がみんな座っていて階段が見えないくらい。トレビの泉もコインを投げ込むのにそばに行けない状況、イヤー大変でした。

28日(月):
いつものように移動日は荷物を前もって部屋の前に出しておくように指示がありましたが(係員が集めてくれる)、ローマは早くからドアの前に置いておくと(指定時間の30分も前に置く人いるようです)知らない人にもって行かれるのでできるだけ指定時間近くに出す様に注意がありました。

そしてローマとのお別れ、KLからの加藤先生夫妻、今井さん夫妻と涙々の別れ(そうでもありませんが)でした。空港までの40分、バス内でデボーション、続いて残っている方の証、でもまだ足らず。出発までのチェックイン手続きの間もお聞きしました。それでも最後3人(内田先生を含め)残ってしまい。

ミュンヘンでの乗り継ぎ時間で、内田先生、そして添乗員さんからも感想をお聞きしました。添乗員はJTBでも指折りの優秀な方のように内田先生から旅行中に話しがありましたが、本人から聞くと、世界で北朝鮮とアフガニスタン、北極以外はすべて行っているそうで、安心できる方でした。

彼女の感想、これほど印象深いツアーは無かったと言ってましたが、毎日、内田先生の話しを聞くわけですからこんなにお得な旅は無かったと思います。実は彼女は自分から志願してこの添乗員になったようです。前に内田先生の話しを聞いており一度一緒に行ってみたいと思っていたようです。彼女の自己紹介の中に、世の中で一番優秀な人は神学校の人だと母親から聞いていてその神学校の先生とはどんな人か非常に興味を持っていたそうです。きっと改めてその優秀さを感じたことでしょう。

内田先生の発案で、解団式をミュンヘンで行いました。これは成田では別々の所から集合していますので、到着後すぐバスなどの時間で移動がある人もあるからですが、本当に神様に守られた良い旅でした。私にしてみれば、よその教会の兄弟姉妹との毎日の生活など考えもしてなかったですが、大きな収穫がありました。これからも交わりをしていきたいと思っております。

そうそう、次回はイスラエルが2年後も難しかったら、東トルコ(どうもエデンの園)へ行きましょうといっていた人がいましたよ。             

以上。